新年雑感

皆様、新年あけましておめでとうございます。

 

昨年来、新型コロナウィルスの感染という災禍により、公私を問わず私達の日常は一変いたしました。現在の欧州や米国などの「西側諸国」は、今回のコロナ禍によって第二次大戦後でも類例のない苦境に陥っています。一方、中国政府の対外姿勢は、早期に「封じ込め」を成したという自負を持って、自らの優位を誇示するものになっています。ウイルス禍対応に苦慮する欧米諸国に反省を求めるといった趣旨の中国政府の論調は、「自由」や「民主主義」体制への信頼を揺るがせ、それとは相容れない「権威主義体制の優位」を主張しようとしています。

 

現代の私達にとって「民主主義」とは、今更問う迄もない自明の言葉です。そして戦後の日本は、近代民主主義の先進国とされる米国に学ぼうとしてきました。その米国の民主主義が、今回の大統領選挙の正当性をめぐって大きく揺らいでいます。「民主主義は良い政府を実現するための方法ではない。寧ろ説明責任を引き出したり、悪い政府を罰したりするための方法だ。良くない政府は罰せられるべきなのだ。」これは英国人ジャーナリストのビルエモット氏の言葉です。民主主義は良い政治、良い政府を齎す筈だという理解からすると、この言い方には違和感を覚えます。しかし、これこそが民主主義の本質なのです。

 

しかも、肝心なことは、ここに言う「悪い政府」「良くない政府」とはどういう政府なのか、何をもって「悪い政府」と判断し得るのか、その客観的基準が全く想定されていないということです。要するに、「悪い政府」とは、ただもっぱら人々が「悪い」「良くない」と感ずる政府ということであり、人々のその感じ方は全く気まぐれなものなので、それに従って「良い政府を実現する」ことが出来るなどと期待してはならないということなのです。

 

時の政府がいくら最良の方策をとり、最善を尽くしてそれを説明しても、人々がそれを理解せず、納得しなければ「説明責任」が果たされたとは言えず、そのような政府は罰せられなければならない…それが民主主義というものなのです。そう考えれば、今回の大統領選挙の混乱も、民主主義が内包する宿痾とも言えるのでしょう。

 

一日も早く平穏な社会生活が戻ることを祈りながらも、私達がこれまで当然と思ってきた価値観や制度が、決して自明のものではないことを考えさせられる年初の日々です。

 

YTリゾリューション・サービス社長 高崎康弘