新年に想う―教育の再生と愛国心-

 

昨年の最大の痛恨事として、安倍元首相の暗殺事件を挙げないわけにはいきません。刻々と変化する世界情勢の下で、国家の指導者を亡くした日本の行く末はどうなってしまうのかとの想いも、日増しに強くなってきます。国際政治力学の変化を的確に捉え、これにどう対応すれば日本が生き残れるかの道を果敢に模索し続けた政治家は、 安倍氏以外には見当たらないと思います。

 

総理としてのリーダーシップ、明確な国家間に基づく安定した政権運営、卓越した先見性と行動力によって世界に於ける日本の存在感を大きく高めるなど、安倍政権の功績は多岐に亙りますが、先ず思い出されるのが、若さ溢れる宰相として「戦後レジームからの脱却」を掲げ誕生した、第一次政権です。

 

第一次安倍政権は、一年弱という短期間で終わりはしましたが、防衛庁を防衛省に昇格させ、憲法改正手続きを踏まえた国民投票法を成立させ、更には教育基本法の改正も成し遂げました。そのどれもが歴史に残る偉業というべきでしょうが、ここでは安倍首相が常に心に留めておられた「教育の再生と愛国心」ということについて考えてみたいと思います。

 

当時の安倍首相は、公教育の再生は「待ったなし」であるとして、国作りの根本、基本が教育にあることを強調されていました。そして、占領下の昭和22年3月に制定されて以来手付かずであった教育基本法の、約60年ぶりの改正を実現したのです。

 

改正された基本法には、それまでににない新しい理念が盛り込まれました。特に、「我が国と郷土を愛する態度」「伝統と文化の尊重」「公共の精神」「豊かな情操と道徳心」などは、戦後教育で軽視されがちだった教育理念です。当時、主要マスコミや野党、日教組などは、愛国心が押しつけられることになると盛んに批判をしていましたが、そもそも愛国心というものは、押しつけられて身につくものではありません。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるべきものであると思います。

 

『ロスノフスキーの娘』というジェフリー・アーチャーの作品がありますが、愛国心の議論を聞く度に、私はこの小説を思い出します。これは、アメリカのホテル王になったポーランド人アベルの娘、フロレンティナの物語です。フロレンティナは学校へ行くと、「ダム・ポーラック」と馬鹿にされます。ポーラックというのは、日本人をジャップと呼ぶのと同じようなポーランド人への蔑称であり、「ポーラックの馬鹿娘」というような感じでフロレンティナは蔑まれていました。ただ父のアベルは金持ちであり、娘の教育のためにイギリスの有名な女学校の女性校長を家庭教師に引き抜いて娘に付けます。そしてこの家庭教師は次のように言うのです。

 

「私はすべての学科を教えられます。しかし、ただ一つポーランドの歴史は教えられません。歴史というものは誇りを持って教えなければなりません。私はイギリス人ですからポーランドの歴史に誇りを持って教えることはできません。それができるのはお父さん、あなただけです」と。

 

こう言われたアベルは、毎朝三十分ほど時間を割いて娘にポーランドの歴史を教え始めます。ポーランドが強大なロシアやドイツに挟まれていかに苦難の道を歩んだか。民族としてのアイデンティティをいかに保って、その中から有為の人材を輩出してきたかということを教えました。娘はそれを聞きながら、自分がポーランド系であることに誇りを持つようになっていきます。そしてある時学校で歴史の試験がありました。一番良い成績を取ったフロレンティナに同級生は、「ダム・ポーラックがいい成績を取った」と囃し立てますが、彼女は「ポーランドには長い歴史がある。あなたがたアメリカはたった二百年の歴史しかない。長い歴史を持った私が、歴史の試験でいい成績を取るのは当たり前でしょう」と自信に溢れた態度で言うのでした。

 

その後フロレンティナは自分のポーランド人としての血に誇りを持つことによって、今度はアメリカ人としての自身の言動や、多様な価値観からなる合衆国の市民としての責務にも目覚め、そしてアメリカ最初の女性大統領にまでなるのですが、これは今日の日本にとっても実に教訓的な小説だと思われるのです。

 

ポーランドが国際的にどれほどの存在かということを客観的にみれば、隣接するドイツやロシアなどの大国と比べた時、さして大きくは無いかもしれません。しかし、ポーランド人にとっての誇り、祖国を愛する感情という点から言えば、それはさして重要ではなく、それはどの国、どの民族にとっても同じ筈です。

 

 

民族の矜持というものは、なかなか理屈では教えられません。「教育は国家百年の計」とはよく言われますが、日本の戦後の教育を司ってきた人々はどれほどその重さを意識してきたでしょうか。想いかえせば、先の大戦の敗北と連合国による占領政策の結果、明治大正まで連続してきた日本人の縦の時間軸がすっかり断ち切られてしまいました。そして日本の文化伝統の継承という大事も、明らかに損なわれてしまってきたことにも、安部首相は警鐘を鳴らしていました。

 

ただ、改正後の教育基本法に対応した教科書が学校で使われ始めたのは、つい最近のことです。中学の歴史教科書の多くが神話を取りあげ、天皇や皇室の記述も更されるなどの変化も現れましたが、それまでに教育基本法改正から十数年の時間を要したことになります。時の政治課題については、決定すれば直ぐに効果が現れるものも多く、遅くとも数年以内に効果がみられるのが普通です。しかし、こと教育に関しては、政策を決定してからその効果が現れるまでには、十年以上を要します。そして新しい教育を受けた生徒たちが世に影響を与えるには、更に十年以上の年月を要するのです。つまり、教育行政は今修正を加えても、社会に影響を及ぼすまでには四半世紀の時間を要するということになります。

 

教育基本法改正の本当の意味が理解されるまでには、まだ相当の時間を要することになるかもしれません。これからの日本人のために教育現場で何を再生し、何を紡ぎ直さなければならないか。安倍首相が遺してくれた教育基本法改正の効果が現れ始めたこの時期にこそ、民族、同胞に対する誇りという視点に立ち、その命題を思い起こしていくべきであろうと、想いを新たにする新年です。