苦難を乗り越える力

 

令和六年の新年を迎えました。

本来であれば、慶賀の言葉で始めるところですが、今年は元旦の能登半島地震に始まり、翌二日には地震の支援物資の搬送に当たっていた海上保安庁機と日航機との衝突という、衝撃的な事故も発生しました。

先ずは、今回の地震や事故の被災者の皆様にお見舞いを申し上げますとともに、不幸にして亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。

 

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併せて、それぞれの現場で、被災者の救援に当たる消防や警察、支援活動に駆けつける人々の活動や、日航機内から混乱することなく脱出した乗客の映像などを見ますと、そこに困難な時に顕れてくる日本人の特質や気質といったものを改めて感じさせられた思いもします。それは、平成23年3月に発生した東日本大震災の際にも我々が見て、そして世界も驚嘆した日本民族の本質、つまり献身と忍耐、そして自我の抑制ということではないかと思います。

 

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このような日本人としての行動の規範は、どのようにして作られてきたのでしょうか。

 

想えば以前の日本人には明らかに節度と慎ましさがありました。恥を不名誉とし、自らを律することで品格を保つことを心掛けていました。

そのような価値観は、「卑怯なことはしない」「嘘は言わない」「隠してもお天道様は見ている」といった言葉で人々に認識され、結果そのように慎ましく優しく美しい国柄を作ってきたと言えましょう。良心に恥じることや、祖父母や両親や年長者を敬うこと、幼き者を守ること、自然の恵みに感謝することなど、美徳とされた価値観は多くありました。その結果として私益よりも公益の優先を忘れてはならないという思いも、当然のように育まれてきたのだと思います。

 

例えば江戸時代、当時日本の各藩には藩校だけでなく、私塾や寺子屋が農村漁村を含む各地に作られていました。しかしそのような藩校や寺子屋での四書五経などの教えとは別に、教育の中心的役割を担っていたのは家庭でした。

親が手本になり、子供が親の姿から自然に学び成長していくことを、江戸時代の人達は教育の基本としていました。人間として家族にどう振る舞うか、社会の中でやるべきこととそうでないことをどう判断すればよいのか。これらの例示の全てについて、親が子に教え伝えていたのです。

 

もう一つ重要なことは、当時の人達が他者の為に貢献することの美しさ、尊さ、必要性を明確に認識し、実行していたことでしょう。つまり、当時の日本人は公の為、他者の為という価値観を実践しつつ、個々人も幸福に過ごすことの出来る社会を作り上げていたのです。これは、国家と国民を対立の構図の中で築いてきた西洋諸国とは異なり、日本人は、実に稀なる善き文明を作り上げた人々であったことを物語っています。

 

初代米国総領事として来航したタウンゼント・ハリスは、『日本滞在記』にこう書いています。「彼ら(日本人)は皆幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は質素と正直の黄金時代を、どの他の国に於けるよりも、より多く日本に於いて見出す。」

 

日本人がいかに素晴らしい社会を築き上げていたか、日本人が守ってきた質素や正直という価値観が、欧米列強が信じてきた価値観よりも優れたものではないかと吐露しているのです。

「進んだ文明国」の代表者として来日したハリスでさえ、日本人が築き上げた社会、国家の素晴らしさに驚嘆していたというその光景は、仮令歴史の彼方にあろうとも、今でも決して忘れられてはならないと思います。

 

世界情勢が混乱を極めつつある中で、我が国の舵取りに当たる人々への失望と不信感が募る今こそ、どんな時代、どんな立場にあってもそれぞれの本分や任を尽くした日本人の物語は、決して忘れてはならないと思います。

 

今年は、台湾問題に端を発して日本にとっても危急存亡の年になるとも言われています。そのような中で、国の行くべき途を考える時、その解は苦難を乗り越えてきた日本人の精神を学ぶことから得られるのではないかと思っています。

 

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